灯も点けずに暗い自室のベッドの上で、舞音は携帯電話と、携帯電話型特殊通信機の画面を眺めていた。
二つの携帯画面の照明だけが、舞音の顔を青白く照らしている。
何度も開き続けた二つの画面には、今日も、いい加減に見飽きた文面が浮かび上がっていた。
"着信なし"
"新着メール受信なし"
俯き、唇を噛んで、舞音は携帯と特殊通信機の画面を操作する。
画面に、これも見飽きたガイドメッセージが浮かぶ。
"フォルダ『プラムス』を閉じますか?"
もう画面すら見ず、舞音は慣れた手つきで、二つの携帯の操作を終了させて行く。
そのまま、足を向けた側のベッドの角に投げつける様にして、二つの機械を放り投げる。
のろのろと両腕で膝を抱き、顔を埋める。
窓から差し込む月明かり以外、光の無い暗い空間に、舞音の押し殺した嗚咽だけが響いた。
風祭 舞音と言う少女は、本来的に控えめで地味な少女であった。
彼女は、強く何かを主張するわけでも、積極的に行動するわけでもない。
かと言って、周囲に流されるままでもなく、だがしかし、自分の意見や行動を押し切れるわけでもない。
よって、中学生時、クラスでもその存在は目立たない方で、生まれついての容姿の良さがあったからこそ、かろうじてその存在を記憶される様な少女だった。
親しい友達が居ないわけでもない。
だがしかし、それは小学校の頃からの付き合いを経た、極僅かな人間に限られていた。
そんな舞音は、従兄弟の風祭 信とのある事柄を契機に、自分を変えようとした。
何でも良い、とにかく自分という存在を変えたかった。
もっと、自分を見て欲しかった。
もっと、自分の声を聞いて欲しかった。
皆に、もっと自分と言う存在を認識して欲しかった。
ありきたりの願望、世界中に掃いて捨てる程ありふれた願い。
だがそれだけに、その願いと渇望は、飢えることを止めない。
だから舞音は、自分と正反対の人間を演じようとした。
強く自己を主張し、自身の意見を強く言い切り、人の印象に強く残り、そして、遠慮なく周囲を巻き込む程に積極的な自分を。
その要求を満たせる、演じるべきキャラクターを舞音は懸命に考えた。
モデルとしたのは、自分の好きな漫画、ラノベ、ゲームの中のキャラクター達。
自分に無い要素を持つ、ヒーロー、ヒロイン、敵役、脇役、その他諸々の登場人物達。
彼らの持つ魅力を考え、拾い上げて並べ、それを様々に組み替え、並べ替える。
多少、非常識で破天荒、痛いくらいでも、とにかく印象に残る自分を、懸命に考え続けた。
やがて、演じるべき自分を決定すると、舞音は来るべきその日に備え、必死にそれをなぞらえる事に腐心した。
折りしも、それは中学校を卒業し、高校の入学式を待つ期間の事であり、それに費やす為の時間は十分にあった。
そして、舞音の高校入学と同時に、「新たな、風祭 舞音」は実行された。
偽りの自分に、迷いが無いわけではなかった。
演じるキャラクターの痛さに、恥ずかしさがないわけではなかった。
それでも舞音は、本来の自分から変わりたかった。
誰かに、自分と言う存在を必要とされたかった。
この世界の中に、自分と言う存在を強く存在させ、認識させたかった。
だから、諸々の迷いを振り切り、舞音はひたすらに、新しい自分を演じ続けた。
同時期に従兄弟の信を追って、SINNと言う非日常の世界に足を踏み入れた事。
エンジェリングと言う超常の力を手に入れた事も、それを後押しした。
SINNの世界では、信の他には、誰も以前の自分を知らない。
だから、思う存分、新しい自分を演じる事ができた。
結果、おもしろい程に周囲を困惑させ、自分のペースに巻き込み、自分の声を響かせ、自分の存在を強く認識させる事ができた。
そんな世界で知り合った少年、プラムス・リンカーズに、舞音は心惹かれた。
良くも悪くも、プラムスは舞音に優しかった。
そんなプラムスに、舞音はますます心奪われていく。
やがて、そう長くない間をもって、二人の想いは実を結ぶ。
こうなると、もう舞音はプラムスに夢中だった。
プラムスに会えるのは、ほぼ一週間に一度だけ。
遠距離恋愛と言うにはあまりに遠い、国さえ隔てた互いの距離。
ルークス教が誇る、転移装置と言うオーバーテクノロジーが無ければ、決して成立しなかったであろう恋。
思春期の恋に夢中の少女にとって、彼に会えるまでの日程は、毎日が寂しさと刹那さの連続だった。
時には眠れない夜も過ごしながら、舞音は、プラムスに会えるまでの日を待ち続けた。
待つ日々は辛くても、プラムスに会えて、彼と一緒に居られる時間さえ過ごせれば、舞音は幸せだった。
そんな時間と日々に、僅かな綻びが生じだす。
プラムスからの連絡が、不意に途絶えた。
週末に、ルークス市国へ赴き、酒場ハンターズや、スパに彼の姿を探しても、見つけられなくなった。
最初は、忙しいのかな?と思う程度で、仕方ないとも思った。
次第に、怪我や病気で身動きが取れないのかもと思う様になった。
しかし、一ヶ月が過ぎ、一ヵ月半が過ぎると、そんな余裕も欠片もなくなった。
あまりの連絡の無さに、最悪の想像が、舞音の心から離れなくなる。
即ち、プラムスが死んでしまったか、或いは・・・。
プラムスに、嫌われてしまったか。
一度、疑心と不安が胸に住み着くと、どんなに否定しようとしても、忘れようとしても、それは寄生虫の様に心に住み着き、その大きさを増していく・・・。
かと言って、不安を払う為に、自分から連絡を取ることもできなかった。
プラムスに対して、拗ねて意地を張っていたと言うのもある。
だが、何より連絡を取ってしまった事で、一番知りたくない、最悪の結果を知ってしまう事が怖かった。
結果、プラムスに会えないまま、時間だけが過ぎて行く。
舞音にとって、神経をゆっくりとヤスリで削られるような日々。
ただ耐えて、じりじりと消耗して行くだけの舞音の心は、プラムスへの怒りと悲しみ、寂しさと不安だけが溢れかえっていた。
誰かに相談できれば、まだ少しは楽だっただろう。
だが、舞音にとって、それはできない事だった。
弱音を吐くことで、今日まで作り上げた自分のイメージが壊れてしまうことを酷く恐れていた。
誰かに相談してしまう事で、本当の自分を知られてしまうかもと思うと、どれだけ苦しくても、誰にも相談できなかった。
これまで偽りの自分で世界に存在を示し、居場所を作り上げてきたツケが、舞音を苛んでいた。
連休初日の、土曜日の昼下がり。
舞音は、自室の勉強机に向かい、苛ついた気分のまま、広げたファンシーな便箋と、睨めっこを続けていた。
便箋に書き上げようとしているのは、プラムスへの別れの手紙である。
半ば自棄になっていた舞音は、プラムスと別れる事で、苦しい日々と不安を終わらせようとしていた。
どうせならメールで済ませれば良いだろうに、せめてもの礼儀にと、妙に律儀に手書きの手紙を送ろうとしていた。
書き上げた手紙は、SINNの知人の1人、テムジン・バートルに、プラムスへ矢文で送りつける様に依頼を取り付けていた。
何故、わざわざ矢文なのかと言う疑問はさて置き、後は、その手紙を書いて、テムジンに手渡せば、それで全て終了の筈だった。
最後に伝えるべき言葉を考えては、電子辞書のラテン語覧で間違っていないかチェックする。
そして、机の上の便箋に、思いついた文を書き込んでは消し、また書き直し、それを何度も繰り返す。
しかし、何度繰り返しても、苛立った頭は上手く文面を思いついてくれない。
何を文面に迷っているんだろう?と、自問する。
何も、凝った文面にする必要なんてない。
この際、言ってやりたい文句も、省いてしまえばいい。
ただ、もう別れると、さようならとだけ書けば、それで終わりなのに。
早く終わらせてしまいたいのに。
なのに、どうして、それで納得してしまえないのか・・・。
やがて、書きかけの手紙をクシャクシャと丸めて、壁に投げ捨てる。
床に転がったそれを見やりながら、舞い音が苛ついた声で呟く。
「・・・もうッ!辛いのにッ!もう嫌なのにッ!どうしてッ!?」
苛立ちを吐く様に愚痴ると同時に、涙が溢れ出しそうになる。
「・・・ッ!!プラムスの事なんかで、泣いたりなんかッ!!」
零れそうになった涙を乱暴に拭い、溢れそうになった感情を無理矢理押し殺して、舞音が呟く。
どうにか涙を堪え、丸められて床に転がった便箋を拾ってゴミ箱に捨てると、何処でも良いから、出かけたくなる。
何もせず自室に居ると、思い出したくもないのに、どうしてもこの部屋でのプラムスとの思い出が浮かび続ける。
舞音にとって、大切で、楽しい筈のその思い出のリフレインは、今の状態では、ともすれば拷問に近かった。
机の上から携帯と財布、そして特殊通信機を取り上げると、乱暴に衣服のポケットに捻じ込む。
そのまま、自室から出ようと、部屋の扉を開けた。
すると、丁度、扉をノックしようとしていた姉、鈴音の姿がそこにあった。
一瞬、部屋での呟きを聞かれたかと思って、舞音の顔が赤くなる。
その様子を見て、鈴音が首を傾げながら尋ねてきた。
「あらあらまあまあ?舞音、顔が赤いわよ?風邪でもひいた?」
何時もの、のんびりした声で問われ、部屋での呟きを聞かれていないと安堵すると同時に、再び苛立ちが沸いてくる。
「・・・別に。それよりお姉ちゃん、何の用?」
できるだけ抑えてはみたけれど、それでもやはり、声に苛立ちが滲むのは隠せなかった。
そんな舞音の胸の内を知ってか知らずか、鈴音は何時ものニコニコとした微笑みで話しかけて来る。
「あのね?舞音、最近プラムス君とずっと会えなくて、ストレスが溜まってるって聞いたから。お姉ちゃん、相談に乗ってあげようと思って。」
鈴音の、悪意のない笑顔と言葉。
だがしかし、だからこそ、それは舞音の神経を逆撫でする。
「・・・ッ!!そんなの、してくれなくていいからッ!!」
思わず、家中に響き渡りそうな大声で、怒鳴り返してしまう。
「それに、もうあんな奴とは別れるって決めたからッ!」
血が上った頭の片隅で、僅かな理性が、八つ当たりだと認める。
「だから、相談なんてする必要ないからッ!余計なことしないでッ!!」
認めても、それを止めることができないまま、姉に当たり散らす。
当の鈴音は、特に怒った様子も、舞音を叱る様子も無い。
普段と何も変わらない調子で、ゆっくりと舞い音に向かい、
「じゃあプラムス君、お姉ちゃんが貰てもいいわよね?」
ニコニコと微笑みを浮かべながら、鈴音が、意外な言葉を口にする。
あまりにも虚を突かれ、怒気すら忘れて、舞音の思考が止まる。
「だって、もうプラムス君とは別れるのよね?だったら、お姉ちゃんが貰っちゃってもかまわないでしょ?」
やはり、ニコニコと微笑みを浮かべたまま、しかし、先程より強い語調で、鈴音が告げる。
鈴音の声が、ゆっくりと舞音の意識に滑り込んでくる。
だが、やはり呆然としたまま、思考は停止している。
やがて、ようやく我に返った舞音の頭の中で、様々な思考が巡る。
(・・・鈴姉が、年下趣味なんて聞いたことない。どうせ、私を説得する為のハッタリに決まってる。)
巡る思考の中で、最終的にそう結論づけた舞音が、ぶっきらぼうに鈴音に返す。
「・・・好きにすればいいじゃない!プラムスの事なんて、もう知らないもん!」
そう言って、鈴音の横を通り過ぎ、一階への階段を降りようとした時、またも鈴音が声をかけて来る。
「舞音。お姉ちゃん、後一回だけしか聞かないからね?」
強く言うわけでもなく、かと言って、普段ののんびりとした口調でもない声に、舞音の足が止まる。
「プラムス君、貰ってもいいのよね?」
舞音の背に、鈴音の声が響く。
思わず振り返った舞音と、鈴音の互いの視線が重なりあう。
鈴音の目が、笑っていなかった。
何時ものニコニコとした笑みが、鈴音の顔から消えていた。
かと言って、怒っているわけでも、責めているような顔でもなかった。
ただ静かな、しかし、だからこそ真剣な表情の鈴音が、そこに居た。
その表情のまま、無言で、鈴音が舞音を見つめ続ける。
互いに言葉を発さないまま、静かに時間だけが流れていく。
その空気の重さと、鈴音の視線に耐えかね、舞音は鈴音から顔を逸らそうとした。
だが、出来なかった。
怒っていないと、責めていないと解っているのに、舞音は鈴音の視線に射竦められ、顔を逸らすことが出来なかった。
「いいのよね?」
重苦しい沈黙を砕く様に、静かに鈴音が告げる。
その言葉を耳にした瞬間、舞音は、自分の中で何かが壊れる音を聞いた気がした。
そして、押さえつけ続けていた感情が溢れ出し、舞音の理性を振り払っていく。
「・・・だ。」
擦れた声が、舞音の口から洩れた。
「いいのよね?」
その声に応じてか否か、またも、鈴音が同じ言葉を告げる。
「・・・い・・・・だ。」
舞音が、震え擦れた声を洩らす。
「いいのよね?」
三度響く、鈴音の問い。
「嫌だッ!!そんなの絶対に嫌ッ!!! 私からプラムスを取らないでぇぇッ!!!!」
廊下を震わせる程の声で、舞音が絶叫した。
ガタガタと震える舞音の双眸から、ボロボロと涙が零れ、頬を伝い落ちる。
やがて、膝から崩れ落ち、廊下に這いつくばった舞音の嗚咽だけが、何時までも廊下に響き続けた。
その日の深夜。
一時降りしきった雨も止み、夜空には煌々と月と星が輝いている。
その夜空の下で僅かに吹く風は、肌寒さを伴って空気運び、虫達の鳴き声と相まって、それを肌で感じる者達を少しばかりセンチな気分にさせた。
そんな秋の夜の一時、風祭社の境内の片隅に腰掛け、舞音は特殊通信機を片手に夜空を見上げていた。
月と星明かりに照らされ、ゆっくりと流れる行く黒雲のシルエットを見送りながら、姉の言葉を思い出す。
あの後、舞音が泣き止むまで、鈴音はそっと妹を抱きしめてあやし続けた。
やがて、ようやく泣き止んだ舞音に、小さな子供に言い聞かせる様にして、鈴音が優しく諭す。
『ねえ、舞音?間が空きすぎて、大好きな人に連絡を取る勇気が持てないのは、プラムス君も同じゃないかしら?』
『プラムス君も舞音と同じように、もしかして、もう嫌われちゃったかもって、怖くて連絡を取れなくなってるかも知れないわよね?』
『だから、舞音から声をかけてあげて、プラムス君の不安を払ってあげましょう?』
そう言われても、不安に臆病になり、顔を俯かせる舞音に、鈴音が、何時ものニコニコとした微笑みを浮かべながら告げる。
『だって、舞音は、超絶癒し系なんでしょう?だったら、プラムス君の不安を癒してあげましょ?』
結局、姉に上手く乗せられた気がしなくもなかったけれど、それでも、意を決して特殊通信機に目を向ける。
ゆっくりと深呼吸すると、舞音は特殊通信機のスイッチを入れて起動させた。
夜の境内に、僅かに機械の明りが灯る。
一瞬顔をのぞかせる、臆病な心。
それを無理矢理、心の奥へ押し込む。
そっとタッチ画面に触れ、特殊通信機に登録した名前の一つを選ぶ。
暫くして、操作する画面にガイドメッセージが浮かぶ。
”プラムス・リンカーズに秘密通信を送ります。よろしいですか?”
END
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